北にそびえる縞模様の大唐の倉、南に淡水魚の宝庫清流安家川、西には野田周辺を見下ろす和佐羅比山、そして東には小豆砂の砂浜が続く十府ケ浦海岸と、自然豊かな村です。短い夏の始まりを告げる「のだ砂まつリ」、山車やみこしが練り歩く「野田観光まつリ」などのイベントでは、村が一丸となって盛り上がります。
 南部曲り家を改装し、アジア各国の民族資料を展示している「アジア民族造形館」、玉 川鉱山を公開し世界各国の宝石鉱物を展示している「マリンローズパーク野田玉 川」などは見ごたえがあります。
 見たい所、行きたい所、やってみたいことがあったら、気軽に声を掛けて下さい。
 それでは、ごゆっくりと・・・・。





 野田村は、岩手県の北東部、北上山地の沿岸部にあります。北部および西部は久慈市、南部は普代村および岩泉町に接し、東部は太平洋に面 した東西11.3km、南北13.8km、総面積80.83平方kmの村です。
 地形は、北上山脈に連なる標高600m〜800mの山地から主分水嶺を形成しながら東北に高度を減じ、北東部にわずかに平野をみる臨海狭谷型になっています。
 気候は、夏季に海流の影響によるヤマセ(偏東風)が発生し、冷涼湿潤となりますが、冬季は比較的温暖です。降雨量 は年間平均1,000mmから1,200mmの小雨域で、積雪量も比較的に少なくなっていますが、春先に大雪をみることがあります。
アクセス

東 経
 141度49分17秒

北 緯
 40度6分26秒

面 積
 80.83平方km(推定値)

東 西
 11.3km

南 北
 13.8km

列車・バス
◎東京-->二戸(東北新幹線で約3時間)
◎東京-->盛岡(東北新幹線で約2時間30分)
○二戸-->久慈(新幹線連絡バスで約1時間)
○盛岡-->久慈(JRバスで約3時間)
○盛岡-->宮古(山田線快速で約2時間)
・久慈-->野田(三陸鉄道北リアス線で約15分)
・宮古-->野田(三陸鉄道北リアス線で約1時間19分)
マイカー
 盛岡-->久慈-->野田-->国道281・45号で約123Km
 盛岡-->宮古-->国道106・45号で約170Km
 八戸-->久慈-->野田-->45号で約70Km



 野田村のそちこちの古い峠道には、かつて「ベコ(牛)の道」と呼ばれた狭い山道が残っています。
 長い年月の中で踏みしだかれた「野田塩・ベコの道」は、まさに先人が築いた足跡。今はただ、追分けの庚申塔や道祖神だけが、その歴史を刻み込み、語り伝えるかのように黙して静寂の中にたたずんでいます。
 野田村の海岸では、古くから製塩が行われていました。製塩は”直煮(じきに)出し”という大変な重労動で、苦労して作られた塩は大切な商品でした。
 ここで焚かれた塩は、北上出地を越えて雫石や盛岡近在に運ばれ、米、粟、そば、豆などの穀物と交換されていました。この地方の塩を運ぶ人々は、牛の背につけて運ぶことが多かったので「野田ベコ」と呼ばれ、この塩を運んだ道を「塩の道」と呼んでいます。
 海のない内陸部の人たちは、塩行商の野田ベコが来るのを待ちこがれていました。長くて厳しい東北の冬を過ごすには、塩漬けの保存食は必需品で、塩は生活に欠かすことのできない貴重品だったのです。
 塩の道は、東北の内陸と沿岸部を結ぶ重要な交易の道でした。

 このように、製塩の歴史を画期的なものにした背景には、野田通 りの海岸では、江戸時代の早くから鉄の生産が行われていたことがあります。 中国地方に次ぐ日本有数の砂鉄の産地であったこの地方では、塩を煮る鉄釜を容易に手に入れることができたのです。
 牛はその鉄山で必要な砂鉄や木炭、食料などを運ぶためにも多く利用され、ベコの道の往来には牛方を職業とする人も多くいました。 野田ベコによって運ばれた塩は、岩手県内ばかりでなく、雫石からさらに仙岩峠を越えて秋田県の鹿角地方まで運ばれました。
 人々の暮らしに決して欠かすことのできない塩を運ぶ道−ソルトロードは、狭くて険しい道ながらも、海と山を結ぶ切っても切れない人の道でした。
 この先人たちが歩んだ「塩の道」を通して、野田村の歴史と文化が各地に伝えられていったのです。